研究会便り

「食育が健全な人格をつくる」
盛岡スコーレ高等学校校長 
岩手食文化研究会副代表  宮本 義孝


「食育」の意義

以上、述べたことは、われわれの健康とか命とかに関わる「食」の問題ですが、「食」にはもうひとつ、われわれの、心を育てる、という働きもあります。今度はそのことについて話をします。

私は、岩手食文化研究会の副代表だとか、先ほどの紹介では、肩書はいろいろありましたけど、本職は、高等学校の校長なんです。校長というのは、直接、生徒とはあまりかかわりを持たないんですけど、問題を抱えた生徒、そして担任が手に負えなくなった生徒はね、校長室に連れてこられるんです。

けれど、ただのお説教ではなかなか思いが通じないですから、いろいろお喋りをします。そして生徒たちの周辺の生活環境などを少し聞いてみるんですね。いろいろ聞いて、お互い心をつなげてアドバイスのできるところがあったらアドバイスをする。そういうふうにやっています。

私は学者ではありませんから、数字を上げて、その因果関係を引き出してくるということはしませんし、またそういうことにはあまり興味はないんですけど、ただですね、感触として、問題を抱えている生徒は、「食」がやっぱり乱れているんです。生徒には思いつくままいろんなことを聞きます。例えば、「昨夜は何時に寝たの」とか、「テレビはどんなのを見ている」とかね。それから、「最近読んで面白いと感じた本、なんかある」とか、その中に、食のことも少し交えて聞くんです。例えば「朝ご飯食べてきた」。それから「家では、夕食、何時ごろなの」、「夕食は、家族みんなで食べているか」とか、聞くんです。そういうことを聞いているうちに、だいたい、生徒の育ち方、生活している今の状態が分かってきます。それで、必要があれば生徒だけじゃなく親と面談をしたりもします。

それで、実はね、問題を起こす生徒に、朝ご飯を抜いている子どもが結構多いんです。それから、孤食。孤食というのは、ひとりで食事をする、家族と一緒に食事をしていないということですが、そんな生徒に問題はやはり多いんです。ちょっと古い調査なんですけど、1998年にね、広島県の教職員組合が、県内の小学5年生から中学3年生まで、1万2000人余りの食の調査をしたんです。で、朝食を食べていない子どもは、その調査では2割いたそうです。それから、同じ頃、厚生省の国民栄養調査では、これは、1993年なんですけれど、31.4パーセントの子どもが孤食だったそうです。つまり、3人に1人が孤食なんです。これは年々増加しています。今ではもっと増えていると思います。というのは、同じ厚生省が1982年に行った調査では、孤食は22.7パーセントでした。10年間でもう10パーセント近く増えていますから。

それで、最近、切れる子どもが多くなったということは、よく言われています。切れる原因はいろいろあるんですが、「切れることがある」と答えた子どもで、朝食をとっている子どもは15パーセントだったのに対し、とってない子どもは26パーセントだったんです。食事をちゃんととっていないということは、やっぱりイライラする原因になるんですね。

それから、もうひとつ。これはとっても大事なことです。先ほど話した孤食ですけど、その孤食の子どものほとんどは、家庭を、自分の家庭を、つまらないと感じているそうです。なんとなく分かりますね。

私もいろんな生徒たちと話をしてると、やはり「食」に問題のある生徒たちが不安定なんです。それで、家庭の食事というのは子どもたちにどんな影響があるのか、ちょっと考えてみたんです。今の自分の家庭のこととか、自分が生い立ってきた家庭のことだとか。すると、ああそうかって、結構思い当たるふしがあるんですよ。それをお話します。


躾としての食

食事を、一緒にとるということは、つまり、躾の問題。それから、人間関係。また、その家が持つ、あるいはその地域が持つ食の文化。そして、先ほど話したような、健康とか生活のリズムなどにつながってくるんです。孤食であるということは、そういうことが失われるんです。

それで、まず躾のことで話をします。私は、子どもの頃に、あの当時はどこの家もあまり裕福ではなかったけれど、食事はみんなで一緒にするのがあたりまえだったんです。その食事の時に、私が一番、母親に言われたことは、残さず食べるということでした。うちの両親は特別学問があるわけじゃないから、自分の思いを正確に言葉で表すってことはできませんでしたけれど、聞いていると、思いは分かるんです。

言いたいことは二つあるんです。ひとつは、例えば、われわれは魚だとかお肉だとかを食べます。「残すな」ということは、魚とか肉とかにも命はあるんです。人は自分が生きるために、他から命を頂いている。だから命に感謝しなければいけないっていうことなんです。また、ご飯にしても、粒粒辛苦っていうか、お米の一粒々が、作った人の汗と苦労の賜物。だから、残してはいけないってことなんです。

もうひとつは、料理を作ってくれた人に感謝をするっていうことなんでしょうね。つまり、その奥には、命と命、心と心の向き合いがあるんです。で、それをしょっちゅう言われると、思わず食べる時には手を合わせて「いただきます」って言葉が出てくるようになるんです。お弁当なんか食べる時、私はふたについているご飯を箸でそぎ落として、まずそれから食べます。貧乏くさいとよく生徒に笑われるんですけど、ケチじゃないんです。

今はそういう感謝の気持がなくなりましたね。最近あるホテルで目にしたことなんですけど、若い人たちが朝ご飯を食べているんです。大きいホテルですから朝食はバイキングでしょ。バイキングというのは食べたいものを好きなだけとればいいわけです。それが、残してるんですよ。パン、半分齧ったまま残してるんですよ。卵の焼いたのも、かき回して残してるんですよ。研修会で借りきったホテルでしたから、多分どこぞの学校先生だったんです(笑)。孤食というのは、多分、そういう躾がちゃんと伝わらないことなんだろうなと思います。

それから、私の家では箸の使い方なんかもうるさかった。持ち方が悪いと、特訓させられましたよ。

私の知り合いの岩大の先生がいまして、オーストリアにスキー留学に行ったんです。その先生は、なかなかの豪傑なんです。自分愛用の箸を持っていて、食事の時は、ずっとそれで通したんですよ。ある時レストランに入って、ナイフで肉を切ったあと、箸を出してそれを使って食べていたんです。しばらくして周りがシーンとしてるんで顔を上げてみたら、みんながこっちを見ているって言うんです(笑)。で、つい乗っちゃって、箸でいろんなものをつまんで見せたりしたら、「あなたにビール奢りたい」っていう人が出てきてね(笑)。それで、ビール飲んできたなんて言ってました。そういうふうに、いろんなことをきちっと教わる。それらも食事を一緒にすることから学べることなんです。


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