研究会便り

2012年度総会及び特別講演会

日程
2012/6/24(日)13時45分~
プログラム

1.総会(会員のみ)
2.特別講演 「東日本大震災から一年がたって」 河野和義氏
                     (座長:宮本義孝副代表)



1.総会(会員) 13時45分~14時15分
・第一号議案:2011年活動報告と決算、並びに次期繰越金処分案の承認について
 (1)取組内容(2)情報発信(3)世話人会等(4)2011年度収支決算
・第二号議案:2012年度活動方針と収支予算(案)の設定について
 (1)活動方針(2)活動報告(3)2012年度収支予算について
・第三号議案:規約付属細則規定事項の一部改正に伴う附則の承認について(学生会員の会費 等)
・意見交換


2.特別講演(一般公開) 14時30分~16時30分
 「東日本大震災から一年がたって」 講師 河野和義氏


河野和義氏

ヤマセン醤油 ㈱八木澤商店の8代目社長であり、現在は取締役会長。
地域のリーダーとしてまちづくりにも取り組むなど、精力的に活動。
震災後、ご子息の通洋さんが9代目社長に就任。

㈱八木澤商店は、文化4年(1807年)創業の老舗企業。陸前高田地区を拠点とし、200年以上の歴史を誇る醤油・味噌醸造店である。
現在までの間に、醤油を加工したつゆ・たれ類の製造にも力を入れ、全国醤油品評会の農林水産大臣賞を何度も受賞するなど、品質的にも輝かしい功績を誇っている。
震災前から、たびたびテレビなどのメディアで見かける程、岩手県のみならず全国的に有名で、こだわりの材料で作った商品は全国に根強いファンを持つ。


 社長のお話は流暢で面白く、講演会などの依頼も多い。商品へのこだわり、会社の経営理念、自身の食への思いを広く伝達するべく、精力的に全国を駆け回っていた。

震災時は東京に出張中であった。交通網はマヒし、岩手に帰ることもできず、当日は東京で待機。
3日後、やっと情報が入り、沿岸の悲惨な状況が分かった。


蔵、製造工場、自宅までもが全壊、流出した。軽トラック2台だけが残った。
たった10数分で200年の歴史 会社のシンボルの土蔵が跡形もなく無くなった。
近辺の集落では、避難訓練の成果の甲斐あって、子供の犠牲者は一人も出なかったが、33人中2人が孤児となった。
家族は無事だったが、従業員40人中、消防団に所属していた営業課長が犠牲となり、25人が家族のだれかを亡くしていた。


震災から1か月後の4月12日に、ずっと足が向かず見に行くことが出来なかった会社の跡地を、初めて見に行った。


 震災後、従業員と共に、会社のがれき撤去、商品の片づけや、残ったトラック2台での戸配のボランティアに追われた。
 震災から52日目、営業再開。門外不出だった社外秘のレシピを4種類公開し、他のところで製造して貰ったものにラベルを貼り、販売。ジレンマを抱えながらの営業。


 6月頃、醤油屋の命、“もろみ”が奇跡的に発見される。
 釜石市の岩手県水産技術センターから盛岡市の岩手県工業技術センターへ移され、皆の協力によって再生される。


 9代目社長・通洋さんは、震災前に採用が決まっていた新入社員も予定通り採用し、従業員一人も解雇することなく営業することを決めた。
このことは、新聞や各メディアで大きく取り上げられた。


 さらに、9代目は、ファンドの取り扱い・運営を行うミュージックセキュリティーズ(株)が震災を機に立ち上げた、「セキュリテ被災地応援ファンド」に参加し、会社の再建の為の資金調達に、新たな試みを導入した。



当時のファンドを呼び掛けるチラシ。
他に、気仙沼や宮古、大船渡などの被災企業も参加
(画像をクリックするとチラシをPDFでご覧いただけます)


その件に関して、当時、8代目と9代目は毎夜話し合いを繰り返した。しかし、最終的に9代目の意思を尊重して任せることにした。


被災後、185年の歴史をもつ角館の安藤醤油さんから、しょうゆ1万本分の2年もろみを分けて頂き、なんとか新しい醤油ができ上がった。
商品名は、京都の書家が被災後に色紙に書いて下さった励ましの言葉から、9代目と従業員皆で考えて引用することに決め、本人の了承のもと、書かれた字そのものをラベルとして採用し、販売にこぎつけた。



商品チラシ 印象に残る商品名が温かな字体で綴られている
(画像をクリックするとチラシをPDFでご覧いただけます)


この頃から、次第に8代目は口出しを極力控え、9代目社長に任せるように。市の復興協議会理事長に専念することを意識する。


岩手県の内陸に営業拠点を移し、東北各県の醸造蔵の協力の下、製造を委託し、商品を販売。
23年12月 一関市花泉町につゆ・たれ工場を借り、しょうゆ加工品の製造を開始。
24年5月 一関市大東町の廃校跡地に製造工場建設・着工(陸前高田市より車で30分
24年9月 工場完成


講演後の24年8月3日、本店を、高台の陸前高田市矢作町 旅館跡に移転。
ついに、“陸前高田の八木澤商店”再始動。


●河野さんからの心に残る言葉

「水俣病の患者である友人に言われた。“他人と過去は変えられない。自分が変わるしかない。”」
「いただきます⇒命を頂かせていただきます」
奥様より…「あなたはまっ白いキャンバスをまたもらったのよ。これからまたそのキャンバスに自由に描いていけるじゃない。」


残念ながら、時が過ぎると共に風化しつつある、3月11日の大震災。
河野氏は、復興へ向かっていく中で、震災前に講演でたまたま訪れた、北海道 士幌町で目にした生徒憲章を思い出し、改めて心に刻んでいるという。


~“士幌町中央中学校 生徒憲章” より、4章のうち、印象深い2章を抜粋~


権の章  人間だから
     わたしの生命も心もたった一つ
     かけがえのないひとりとして
     大切にされる
     あなたも人間だから
     わたしはあなたを大切にする


          ・・・・・・


希望の章 人間だから
     わたしはわたしを高めていける
     真実を求め
     豊かな心を育てる
     わたしたちは人間だから
     夢に向かってともに歩く


その町は、何もないところから少しずつ開拓し、今や立派な町になっているのだが、不屈の開拓者精神が、士幌町中央中学校の生徒憲章として残り、今も受け継がれている。

全国を飛び回り、本当にお忙しい中で貴重なお話をして下さった河野和義氏に、心から感謝申し上げます。
研究会としても個人としても、引き続き応援させて頂きたいと思います。

(井上)